jgospel(日本語のゴスペル)中心を歌っているゴスペルグループです。


by j-gospel-niji

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行く

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香です。
‘西坂の丘’で祈ったことを書きましたが、大切なことを1つ書き忘れました。
それは、Johnさんが、祈ってました。‘NIJI が、イスラエルに行けますように’。
Johnさんは、すでに、聖書の言葉から神様に語られているとのことです。

‘神様に語られた時に、語られた場所へ行く’
このことを通して受ける大きな恵み・祝福があります。
私は、(今所属している)この教会に来てから、初めて知りました。(聖書に書いてあるのは、以前から知ってはいたのですが、このことがこの教会に来てから本当にわかりました。)

聖書には、イエス・キリストが、十字架につけられ、その後、復活して、弟子達の前に現れた時のことが書いてあります。

『すると、イエスは言われた。「恐れてはいけません。行って、わたしの兄弟たちに、ガリラヤに行くように言いなさい。そこでわたしに会えるのです。」』

そして、弟子達は、イエスキリストの言われた通り、ガリラヤに行き、そこでイエスキリストに会い、言葉をもらったことが聖書に書いてあります。
普通に考えたら、なにも、ガリラヤに行かなくても、イエス様が最初に現れたその場で語ってくださればよいと思います。しかし、イエス様は、言われたのです。‘ガリラヤへ行くように’。弟子達は、行ったので、言葉をもらうことが出来ました。

クリスチャンになった時、‘神様はどこにでもいる’と教わります。学校でも、家でも、外でも、台所でも、トイレでも。  聖書に、神様は、私達が立つのも座るのも、また、私達の心の中の思いも全てご存知と書いてありますし、聖書のいろいろな箇所から、神様は‘時’‘場所’に支配されない方だということがわかります。 確かに、神様は、どこにでもおられます。

ですが、教会は、特別な場所です。そして、神様に行くように語られた場所へ行くことによって受ける、大きな恵み、祝福があります。
なぜなら、聖書に書いてあるからです。

そして、実際に、いやしを求めている方が、教会に行って、いやされています。
私は、教会で神様に語られ、イスラエルへ行き、アメリカへ行き、ローマ、トルコ、パトモスへ行き、長野県の白馬へ行き、昨日は長崎に行き、そこで神様に言葉をもらい、神様の深い愛で満たされ、沢山の恵み、祝福をいただきました。
聖書の言葉は、真実です。
神様は、お金や状況が全く不可能であったとしても、私達があきらめないで神様に従い続けるならば(信仰の歩みをするならば)、みこころの時に必ず与えてくださいます。

『教会はキリストのからだであり、いっさいのものをいっさいのものによって満たす方の満ちておられるところです。                - 聖書 - 』

『イエスは彼らにこう言われた。「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。 信じてバプテスマを受ける者は、救われます。しかし、信じない者は罪に定められます。
                                     - 聖書 - 』
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by j-gospel-niji | 2010-02-06 20:00 | 日記

26聖人殉教地

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香です。
昨日は、長崎に行ってきました。
長崎には、‘西坂の丘公園’というところがあります。
今から、413年前、1957年2月5日、長崎の‘西坂の丘’というところで、26人の方々が、十字架に掛けられ、槍で両脇を突かれ、殉教しました。この方々は、日本でイエス・キリストを信じるゆえに殉教をした最初の方々です。
その場所が、現在は、公園になっています。
26聖人については、以下のアドレスのページに詳しくありますので、ぜひそちらをご覧下さい。

    http://www.tokyo-antioch.org/

私達、NIJI は、この‘西坂の丘’で、共に祈って来ました。
神様のご計画は、教会にあります。個人の召し(一人一人の生きる使命)においても、教会の働き(孤児院、賛美(ゴスペル)、出版等々)においても、どちらも全て、教会に神様のご計画があります。私達の賛美チーム(グループ)、NIJI も、教会の働きであって、教会のものであり、神様のものです。
ですので、ちゃんと神様のご計画の中を歩めるように、祈って来ました。‘西坂の丘’の地で。
その後、長崎駅で、賛美して(歌って)来ました。
機材を持って行ってなかったのですが、‘エルサレム’(という賛美チーム(グループ)の)イスラエル真理子さんが、貸してくださいました。


(以下は、西坂の丘公園にある、26聖人のレリーフの下にある聖書の言葉です。)

人若し我に従はんと欲せば 己を捨て
十字架をとりて我に従ふべし  マルコ第八章

『だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。          - 聖書(マルコ8章34節)- 』


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(西坂の丘公園にいた鳩)
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by j-gospel-niji | 2010-02-06 18:35 | ゴスペル

殉教聖会

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香です。
明日は、‘長崎殉教記念聖会’が行われます
2月5日(金)午後6時半~ 場所:長崎のチトセピアホールです。(長崎市千歳町5-1チトセピアビル2階) 長崎殉教記念聖会−日本二十六聖人殉教記念聖会 です。

私は、行けないと思っていたのですが、‘みこころでしたら、行けますように’
とあきらめないで祈っていたら、突然行けることになりました。
お近くの方は、ぜひぜひいらしてください。
また、どうしても行けない方は、下記のアドレスから、オンタイムで見ることが出来ます。
2/5(金)午後6時30分からです。

http://users.astone.co.jp/ngs0522/test-live.htm

明日は、NIJI で、路上で賛美(歌)も出来たら良いと思っています。
それから、私が働いている出版社で、 『礎の石の子どもたち』 という小冊子が出来上がったばかりです。
明日、販売します。小冊子は、私達の教会の孤児院のことが書いてあります。カラーで写真も沢山あり、1冊、100円です。この小冊子を通して、沢山の方に孤児院のことを知っていただけたら、と思っています。

ところで、‘殉教’と聞くと、どんなイメージがあるでしょうか。
私が今、所属している教会に行くようになったのには、沢山の神様の導きがあったのですが、その一つに、この、‘殉教’のことがらがあります。
今から6年前のことです。私が、今、働いている出版社で出している月刊誌『雲の間にある虹』に‘殉教’のことが書いてあるのを読みました。それを読んで感動して、インターネットで調べて、(今、所属している)教会のことをいろいろ知りました。
まさか、自分がその教会に行くようになるとは・・・しかも、その月刊誌を出している出版社で働くことになるとは・・・夢にも思いませんでした。
神様の導きは、本当に不思議で、素晴らしいなぁ、といつも思います。
ちなみに、私達の教会のアドレスは、以下です。海外にも教会があります。

    http://tokyo.antioch.jp/


『天が地よりも高いように、わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い。      - 聖書 - 』

(上の写真は、ドイツのオタフです。撮影者:父)
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by j-gospel-niji | 2010-02-04 23:25 | 日記

心をコントロール

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香です。

昨日のブログに、母のことを書いて思い出しました。
あの時、私が1番ショックだったこと。

いつも私を守り、私と共に笑い、共に泣いてくれた母。
いつでも頼りになって、強い母は、弱い私とは違う。そして、母の言う通り、‘大切なのは、心の持ちよう’。私も、そう信じて生きました。
“私には、出来ないけれど、母なら、どんな時にも、心をコントロール出来る。”
そう思っていた母が、個室に移され、モルヒネが効かなくなった時、痛みで顔は別人のようになり、親(私の祖母)にも兄弟(私の伯父さんと伯母さん)にも会いたくないと言い、「痛い」「恐い」しか、口にしなくなりました。
私はその時、思いました。
“自分の心をコントロール出来る人は、いったいいるのだろうか?”
また、その時の母の日記には、‘誰がそばにいても、孤独だった’
と書いてありました。
人によって、限界は、それぞれ違うかもしれません。
また、‘人に見せる顔’と、‘本当の心’は違うかもしれません。

母がこの地上での命を終えたことを、‘最善’と思う私の1番の理由、それは、母のことを通して、私が本当の神様に出会えたことです。
生きて働く神様を知ったことで、私は‘生きる喜び’と‘天にいった時に再び母に会える喜び’を与えられました。

『すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。             - 聖書 -』

『神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。     - 聖書 - 』

『まことに、まことに、あなたがたに告げます。一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。        - 聖書 - 』

『もし、私たちがこの世にあってキリストに単なる希望を置いているだけなら、私たちは、すべての人の中で一番哀れな者です。           - 聖書 - 』

『それは、前からキリストに望みを置いていた私たちが、神の栄光をほめたたえるためです。
                                                   - 聖書 - 』
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(写真上:黒桧山レンゲツツジ、下:田代池、撮影者:父)
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by j-gospel-niji | 2010-02-03 20:41 | 日記

受け入れること

a0142760_19345445.jpg香です。
昨夜は、東京は雪でした。
帰り道、思ったより雪が積もっていてびっくりしました。

ところで、日曜日、教会のメッセージで、こんなことが語られました。

●みことば(聖書の言葉)を‘聞いている人’は、
    →何かあると、がくっとくる。
●みことば(聖書の言葉)に‘立っている人’は、
    →何かあると、(がくっと来たとしても)感謝する。

教会では、まだまだ沢山のことが語られましたが、聖書の言葉は、受け取り方で全く違うのをいつも感じます。

私の母は、聖書を読んだことがあり、何年も、道徳本の一つと思っていました。その時は、なんにも、起こりませんでした。聖書の言葉は、知っていたのです。
母が、末期の癌で、入院していた頃、母の友人が病院に来られ、言われました。
「イエス・キリストは、則子さん(母)のために、十字架にかかったの。イエス・キリストを受け入れますか?」
「はい」
母は、イエス・キリストを自分の救い主と信じ、受け入れました。
その時からでした。母は、モルヒネが全くきかなくなっていた痛み、苦しみがなくなり、また、死への恐怖がなくなりました。
『人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。』
と書いてある聖書の言葉は、真実です。
母は、いやされませんでしたが、「神様を見た」と言い、本当に幸せそうな顔をして、この地上での人生を終えました。私は、母が、この地上とは比べものにならないくらい、素晴らしい天国で幸せに暮らしていると信じています。そして、今では、最善だったと思っていますし、さらに、その意味がわかる時が必ず来ると思っています。
私達には、時に、‘なぜ?’と思うようなことが起こりますが、神様のなさることは、いつも最善です。

イエス・キリストを信じた時、聖書の言葉は、確かに私達の人生を大きく変えます。
そして、神様の言葉を聞くだけではなく、聖書で言われている通り、実践する時、さらに素晴らしい神様の計画が開かれていきます。

『すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。     - 聖書 - 』
『あなたがたはわたし(イエスキリスト)の名によって求めるのです。わたし(イエスキリスト)はあなたがたに代わって父に願ってあげようとは言いません。
それはあなたがたがわたし(イエスキリスト)を愛し、また、わたし(イエスキリスト)を神から出て来た者と信じたので、父ご自身があなたがたを愛しておられるからです。    - 聖書 - 』


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(写真:岩ショウブ、撮影者:父)
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by j-gospel-niji | 2010-02-02 22:47 | 日記