jgospel(日本語のゴスペル)中心を歌っているゴスペルグループです。


by j-gospel-niji

カテゴリ:日記( 98 )

ぜひぜひ

香です。
書きかけのブログが沢山たまってしまい、書き上げて載せたいのですが、今日は時間がないので・・・。
とりあえず!今日は、ホームページの、ご紹介をします!!

先日、海外にいる友達から、この NIJI のブログのことで、メールをいただきました。
私達の教会では、神様に祈って、神様に語られた通りに、ホームページをいつもいろいろ新しくしています。
私が所属している賛美のグループ、NIJI や、他の賛美のグループの方々も、神様に語られ、ブログを書いています。ホームページや、ブログを通して、神様があなたの問題や悩みや、疑問に思っていることに答えをくださると思います。ぜひ、いろいろ見てみてください。
東京アンテオケ教会のホームページのアドレスは、以下です。
      http://tokyo.antioch.jp/
また、海外に住んでおられる方、どうぞ、インターナショナル礼拝もチェックしてみてください。

ぜひぜひ、ご覧ください。(残念ながら、昨日、johnさんが書いていた、2/28のヤング賛美大会は、今回は載っていません。014.gif
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by j-gospel-niji | 2010-03-03 23:46 | 日記

白馬キャンプの恵み

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香です。
久しぶりになってしまいました。
写真は、白馬キャンプのホテルから撮った写真です。
私は、白馬キャンプに行く前の日の夜から、お腹が痛くなり、白馬に着き、病院に行ったら、「ウィルス性の胃腸炎です。」と言われました。
白馬キャンプに着いてからは、ホテルの保健室で、ずっと寝ていました。
どんなに体の調子が悪くても、奉仕をしないことは考えていなかったので、本当にショックでした。
しかし、お腹がずっと痛かったので、横になれて、ほっとする気持ちと、皆に迷惑をかけてしまい申し訳ない、という気持ちで、ベットで過ごしました。
3日目、いやしの祈りをしてもらいに、聖会をやっている会場に行きましたら、「‘明日、いやされます。’という預言があったので、吟味してください。」と言われました。
(聖書にある‘預言’とは、世の中で言われているような、未来を予告することではないです。
‘神の言葉を預かる’という意味があり、未来を予告する言葉も含みますが、神様が語られる言葉です。必ず、吟味が必要です)

私は、次の日の日曜日の朝、起きたら、体は完全にいやされ、元気で教会に行くことが出来ました。預言の通りでした。
また、それだけでは終わりませんでした。
私は、子供の時から、異様に長時間、寝てしまい、朝は、人の何倍も起きるのが大変です。
よく、小学生の時は、休みの日に「か~おちゃん」と遊びに来た友達の声をいつもベットの中で聞いていましたし、高校生の時は、お正月には、4,5日ずっと寝たままで、遊びに来た親戚に驚かれました。とにかく、人の数倍、朝、起きるのが苦手です。体がきついのです。病院で調べたり、いろんな健康食品や漢方を試してみましたが、ダメでした。
いつも祈りの課題は、‘朝、すっきりとちゃんと早く起きることが出来ますように。’
何年間も祈って来て、何度も失敗で、あきらめかけることもしばしば。
ところがです!
日曜、月曜と、朝、起きるのがとても楽になり、体が以前より強められているのが、はっきりわかりました。36年間生きて来て、初めてです。まだ、2日たっただけですが、私はずっと続くと信じてます。
白馬キャンプから帰って来た時、教会の方に、「行っただけで勝利だよ!」と言われ、‘慰められるなぁ・・’と思いましたが、まさに、行っただけで勝利でした。
神様の恵みとあわれみに感謝します!


『彼(イエスキリスト)は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼(イエスキリスト)への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼(イエスキリスト)の打ち傷によって、私たちはいやされた。     - 聖書 - 』

『私たちが滅びうせなかったのは、主の恵みによる。主のあわれみは尽きないからだ。
                                - 聖書 -  』
『愛を追い求めなさい。また、御霊の賜物、特に預言することを熱心に求めなさい。  - 聖書 - 』a0142760_03918.jpg
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by j-gospel-niji | 2010-03-02 00:13 | 日記

白馬キャンプ終了

こんばんはjohnです。

冬の白馬キャンプあっという間におわりました。とても祝福されました。

会衆賛美にとても主の臨在がありとても感動しました。
牧師賛美の奉仕も与えられ素晴らしいときを過ごすことができました。

また、NIJIでも「ゴスペルライブ in 白馬」の初日に歌うことができました。
最近練習している「まことの愛につつまれて」という曲を賛美しました。

この曲を作られた方は、私の妻keikoさんの高校の同級生です。
今、NIJIがお気に入りの一曲です。

ただ、残念だったのが、メンバーの香ちゃんが体調が悪くなり一緒に歌えなかったことです。
多くの方がお祈りしてくださり、香ちゃんの体調も今は大分良くなっています。

今度は7月にまた白馬に行きます。「全国ゴスペルグループコンテスト」の出場のために。
NIJIは新曲で挑戦してみたいと思っています。新しい曲のためにお祈りください。
3月中には出来上がり、練習に入りたいと願っています。
新しい曲ができたらこのブログでの紹介したいと思います。お楽しみ!

johnでした。
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by j-gospel-niji | 2010-02-27 20:50 | 日記

イメージ

a0142760_20534265.jpg香です。

左の写真は、道でよく見かける花です。
この花を見ると、いつも、

『人はみな草のようで、その栄えは、みな草の花のようだ。草はしおれ、花は散る。
しかし、主のことばは、とこしえに変わることがない。』

という聖書の言葉を思い出します。
なぜなら、この言葉にある、‘草の花’が、私の中のイメージでは、こんな花だからです。

誰でも、いろんなことに‘自分のイメージ’というのがないでしょうか。

私は、自分がクリスチャンになる前は、クリスチャンに対して、あんまり良いイメージがありませんでした。
偽善者のように思えたり、きれい事を言っているように思えたりして。

木曜日、NIJI の練習の時、johnさんが、

「私は、柔和で温厚です。」(だったかな?)
(少し間をおいて、) 「と信仰告白しておきます」

と言っておられました。(笑)なぜか、マイクで。

そういえば、私は、クリスチャンになる前、‘私は、こういう人間なのだから仕方ない’と思う性格でした。
人によっては、‘こういう人のようになりたい’とか‘こんなふうな人になりたい’とか、いつも理想があって、がんばっている人もいるかもしれませんが、私は、性格が悪く、‘こういう自分が好きで、自分は、これで良いんだ。自分のことを変えることは出来ないし、その中でプラス思考で良い方向で考えればいい。’と思っていました。
周りの人に合わせ、いろいろ我慢して、自分を押し殺して生きるか、多少迷惑かけても自分の思ったように生きるか、どちらかなら、私は、自分の思ったように生きよう。そう思っていました。
私は、‘自分の思ったように生きる’ということすら出来ず、うまくいった時でも、それで、自分が本当に幸せで満足していたかというと、全くそんなことなく。
人を傷つけるだけでなく、自分の内側もいらいらで一杯だったり。

神様であるイエスキリストを信じてから、大きく変わったことの一つに私のそういった内側の変化があります。
クリスチャンになってから、以前に比べて、自分の嫌な部分がわかるようになりました。そして、それは日を追うごとに、増えていきます。それに対し、(落ち込む時もあっても、必ず)‘こんな私を、愛されなくて当然の私を、神様が、そのまま愛してくださっている’という喜びに変わります。そうして、少しずつではありますが、神様によって、自分が変えられていっています。
それで誰が楽になり、幸せになったかというと、まずは、本人である私。そして、周りの人も。
(よく父に変わったと言われます。)
神様ご自身が、私達一人一人を目的をもって造り、造り主である神様と共に歩む時、その人が与えられているものが良い面だけで生かされ、さらに、良いものが与えられてくるように思います。

例えば、感情の起伏が激しい人は、その激しい情熱的な部分が人を感動させるようなことに用いられたり、細かい人は、その細かさで、いろいろ気がついて、人を喜ばせたり、おおらかな人は、その人を通して癒されたり・・等々。

確かに、私達は、訓練課程であるので、全てが一気に変えられるのではないです。また、選びもあります。神様を知っていても、神様と関係ない道を選ぶのか、神様と共に歩む道を歩むのか。

イエスキリストを信じ、神様と歩む人生は、本当に素晴らしいです。

『私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主(イエスキリスト)の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主(イエスキリスト)と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主(イエスキリスト)の働きによるのです。         - 聖書 - 』
『御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。  - 聖書 - 』
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by j-gospel-niji | 2010-02-20 20:44 | 日記

練習

a0142760_1930357.jpg香です。
今日は、これから、NIJI の練習です。
その為に、お仕事を切り上げて、教会に行きますが・・・
私にとって、ものすごい訓練です。
いつもは、仕事の為に使えていた時間が5,6時間、なくなってしまいます。感謝して、祈らないと、どうにもなりません。

これから、教会に沢山の人が来ますが、その時には、今よりもっと忙しくなるので、短時間で沢山のことが出来るように祈っていかないと・・・と思っています。

私達の教会には、海外の教会を周りながら、信じられないくらいの量の仕事をこなしている牧師がおられます。もともとそういう生活スタイルだったのではないそうです。
病気もされ、何度も死にそうにもなっておられますが、神様の計画の内を歩み、使命をまっとうする人生を歩んでいる時、神様は、体力も能力も、必要の全てを与えてくださることが、その牧師を通しても、はっきりとわかります。

私も、神様と共に歩む人生が本当に素晴らしいと日々、実感しています。

神様は、私達、一人一人に素晴らしい計画を持っておられます。
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by j-gospel-niji | 2010-02-18 19:35 | 日記

なぜなら・・

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明日は、夜は、NIJI の練習です。

以下は、日曜日のメッセージの聖書箇所です。

『そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。
それは、患難が忍耐を生み出し、
忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。
この希望は失望に終わることがありません。
なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。
                                                   - 聖書 - 』


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by j-gospel-niji | 2010-02-17 21:48 | 日記

弱さ

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香です。
久しぶりのブログになってしまいました。
神様に導かれたことは、書こうと決めた NIJI のブログ・・・。
実は、土曜日から、体調が悪く、土曜は、教会を休み、日曜日は、午後のインターナショナル礼拝から行きました。そして、月曜もお休み。
ただの不摂生です。貧血の症状でした。
私は、自分がとても情けなく、とても落ち込みました。
もともと、自分に構わない方で、普段も、日曜日以外は、髪の毛をとかさないし、顔を洗うのを忘れたりもする無精者です。(日曜日はきれいにしてないとMさんのチェックが入るので。)
でも、お休みすると、周りの方に迷惑をかけてしまうし、なにより、日曜日は私にとって特別で、とても大切です。
なぜなら、大切な神様を礼拝する日だからです。
なので、遅刻することがないように、体調面も気をつけていたつもりでしたが・・・。
あーぁ・・・と思い、(聖書に‘良いことも悪いことも感謝しなさい’とありますので)悔い改め、神様に感謝しました。

神様のあわれみでなんとかお休みは、まぬがれましたが・・・。感謝しつつ、本当に情けなくなりました。
そんな思いの中、私の心の中に、聖書の言葉が思い出されました。

『私たちの大祭司(イエス・キリスト)は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。』

そして、聖書を開いて、改めて、神様の恵みとあわれみを思い、感謝しました。
神であられるイエス様は、神であるのに、人となってこの地上に来られ、肉の弱さをその身にまとわれたからこそ、私達のどんな弱さもわかってくださるお方です。私のことは、小さな小さなことですが・・・。

今日は、神様の恵みとあわれみによって、元気にお仕事しました!
感謝します。


『しかし、主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現われるからである。」と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。                - 聖書 - 』

『神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。    - 聖書 - 』

(写真:湯沢イチゲ、撮影者:父)
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by j-gospel-niji | 2010-02-17 21:26 | 日記

主をほめたたえよ

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日曜日のメッセージの聖書箇所です。

『わがたましいよ。
主をほめたたえよ。
私のうちにあるすべてのものよ。
聖なる御名をほめたたえよ。

わがたましいよ。
主をほめたたえよ。
主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。

主は、あなたのすべての咎を赦し、
あなたのすべての病をいやし、
あなたのいのちを穴から贖い、
あなたに、恵みとあわれみとの
冠をかぶらせ、
あなたの一生を良いもので
満たされる。
あなたの若さは、わしのように、
新しくなる。
         
             - 聖書 - 』


(写真:ワスレナ草)
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by j-gospel-niji | 2010-02-10 20:25 | 日記

受けた愛で

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香です。
『もし、人が愛を得ようとして、自分の財産をことごとく与えても、ただのさげすみしか得られません。
                                                    - 聖書 -』
これは、聖書の言葉ですが、皆さんは、どんなことを思いましたか?

愛には、いろいろな愛がありますが、私は、こんな話を聞いたことがあります。
つり橋の上を男女がすれ違った時、揺れるつり橋を渡る時の‘ドキドキ’を、恋愛の‘ドキドキ’と取り違えて、恋に落ちる可能性が非常に高いそうです。命がけの恋なんていうのも聞きますが、(感情は大切ですが)状況や自分の立場やいろんなものに左右される人の感情を中心にしていたら、命がいくつあったって・・と私は思ってしまいます。恋愛感情がずーっと続かない、というのは、誰もが体験したことがあるのではないでしょうか。
私達の教会の孤児院には、実の親に傷つけられた子供達が沢山います。
例えば、お父さんが、自分の(酒の)飲み代欲しさに、自分の子供を売り、再びその子供を自分のもとに連れ戻しては、売る。親が子供を守り、愛することが、当たり前ではない国もあります。働きたくても、働く場所がなく、お酒に逃げるしかない状況や、様々なことで追いつめられる状況の中で、そうしてしまったお父さん。
‘私は絶対にそんな酷いことはしない’と言い切れるでしょうか。

人は、自分が受けた愛でしか、人を愛することが出来ない、ともよく聞きます。
愛したくても、愛せない。それは、特別なことではないと思います。
私の母は、愛情深い人でしたが、同居していた祖母との関係で、悩んでいたのを私はずっと見てきました。
悲惨なニュースや、残酷な話を聞き、涙を流す人が、自分のそばで泣いている赤ちゃんには無関心だったり、年老いた親の面倒を放棄したり・・・etc。

それでも、そんな不完全な愛でも、一生懸命生きていけばそれでいいんだ、そう思うでしょうか。
私達には、どうにもならなかったり、目をつむるだけしか出来ないことを放っておかれない方がおられます。
私の知っている神様は、イエス様は、そういうお方です。
その神様は、私達に、
『わたしのもとに来て、自分の父、母、妻、子、兄弟、姉妹、そのうえ自分のいのちまでも憎まない者は、わたしの弟子になることができません。』
と言っておられます。ユダヤでは、2番目以降に‘愛する’ことを、‘憎む’という表現をします。
‘神様を第一に愛しなさい’、自分の父、母、妻、子、兄弟、姉妹は、その次に愛するのですよ、
神様はそう言っています。
私達が神様を第一に愛する時、どんなことが起こるのでしょうか。

私達が、神様を第一に愛する時、私達の内側に神様の愛が注がれます。
それは、自分の中の‘愛する’という能力の限界を超えた、真実な愛です。
神様から注がれた真実な愛を受けた時、私達は、その愛で、自分の父、母、妻、子、兄弟、姉妹、そして自分をも、本当に愛することが出来るようになります。
その‘本物の愛’とは、どんな愛でしょうか。

ぜひ、教会に来て、神様の愛に触れてください。

『神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。             - 聖書 - 』

(写真:ニュージーランドバラ園、撮影者:父)
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by j-gospel-niji | 2010-02-10 20:10 | 日記

行く

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香です。
‘西坂の丘’で祈ったことを書きましたが、大切なことを1つ書き忘れました。
それは、Johnさんが、祈ってました。‘NIJI が、イスラエルに行けますように’。
Johnさんは、すでに、聖書の言葉から神様に語られているとのことです。

‘神様に語られた時に、語られた場所へ行く’
このことを通して受ける大きな恵み・祝福があります。
私は、(今所属している)この教会に来てから、初めて知りました。(聖書に書いてあるのは、以前から知ってはいたのですが、このことがこの教会に来てから本当にわかりました。)

聖書には、イエス・キリストが、十字架につけられ、その後、復活して、弟子達の前に現れた時のことが書いてあります。

『すると、イエスは言われた。「恐れてはいけません。行って、わたしの兄弟たちに、ガリラヤに行くように言いなさい。そこでわたしに会えるのです。」』

そして、弟子達は、イエスキリストの言われた通り、ガリラヤに行き、そこでイエスキリストに会い、言葉をもらったことが聖書に書いてあります。
普通に考えたら、なにも、ガリラヤに行かなくても、イエス様が最初に現れたその場で語ってくださればよいと思います。しかし、イエス様は、言われたのです。‘ガリラヤへ行くように’。弟子達は、行ったので、言葉をもらうことが出来ました。

クリスチャンになった時、‘神様はどこにでもいる’と教わります。学校でも、家でも、外でも、台所でも、トイレでも。  聖書に、神様は、私達が立つのも座るのも、また、私達の心の中の思いも全てご存知と書いてありますし、聖書のいろいろな箇所から、神様は‘時’‘場所’に支配されない方だということがわかります。 確かに、神様は、どこにでもおられます。

ですが、教会は、特別な場所です。そして、神様に行くように語られた場所へ行くことによって受ける、大きな恵み、祝福があります。
なぜなら、聖書に書いてあるからです。

そして、実際に、いやしを求めている方が、教会に行って、いやされています。
私は、教会で神様に語られ、イスラエルへ行き、アメリカへ行き、ローマ、トルコ、パトモスへ行き、長野県の白馬へ行き、昨日は長崎に行き、そこで神様に言葉をもらい、神様の深い愛で満たされ、沢山の恵み、祝福をいただきました。
聖書の言葉は、真実です。
神様は、お金や状況が全く不可能であったとしても、私達があきらめないで神様に従い続けるならば(信仰の歩みをするならば)、みこころの時に必ず与えてくださいます。

『教会はキリストのからだであり、いっさいのものをいっさいのものによって満たす方の満ちておられるところです。                - 聖書 - 』

『イエスは彼らにこう言われた。「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。 信じてバプテスマを受ける者は、救われます。しかし、信じない者は罪に定められます。
                                     - 聖書 - 』
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by j-gospel-niji | 2010-02-06 20:00 | 日記