jgospel(日本語のゴスペル)中心を歌っているゴスペルグループです。


by j-gospel-niji

受けた愛で

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香です。
『もし、人が愛を得ようとして、自分の財産をことごとく与えても、ただのさげすみしか得られません。
                                                    - 聖書 -』
これは、聖書の言葉ですが、皆さんは、どんなことを思いましたか?

愛には、いろいろな愛がありますが、私は、こんな話を聞いたことがあります。
つり橋の上を男女がすれ違った時、揺れるつり橋を渡る時の‘ドキドキ’を、恋愛の‘ドキドキ’と取り違えて、恋に落ちる可能性が非常に高いそうです。命がけの恋なんていうのも聞きますが、(感情は大切ですが)状況や自分の立場やいろんなものに左右される人の感情を中心にしていたら、命がいくつあったって・・と私は思ってしまいます。恋愛感情がずーっと続かない、というのは、誰もが体験したことがあるのではないでしょうか。
私達の教会の孤児院には、実の親に傷つけられた子供達が沢山います。
例えば、お父さんが、自分の(酒の)飲み代欲しさに、自分の子供を売り、再びその子供を自分のもとに連れ戻しては、売る。親が子供を守り、愛することが、当たり前ではない国もあります。働きたくても、働く場所がなく、お酒に逃げるしかない状況や、様々なことで追いつめられる状況の中で、そうしてしまったお父さん。
‘私は絶対にそんな酷いことはしない’と言い切れるでしょうか。

人は、自分が受けた愛でしか、人を愛することが出来ない、ともよく聞きます。
愛したくても、愛せない。それは、特別なことではないと思います。
私の母は、愛情深い人でしたが、同居していた祖母との関係で、悩んでいたのを私はずっと見てきました。
悲惨なニュースや、残酷な話を聞き、涙を流す人が、自分のそばで泣いている赤ちゃんには無関心だったり、年老いた親の面倒を放棄したり・・・etc。

それでも、そんな不完全な愛でも、一生懸命生きていけばそれでいいんだ、そう思うでしょうか。
私達には、どうにもならなかったり、目をつむるだけしか出来ないことを放っておかれない方がおられます。
私の知っている神様は、イエス様は、そういうお方です。
その神様は、私達に、
『わたしのもとに来て、自分の父、母、妻、子、兄弟、姉妹、そのうえ自分のいのちまでも憎まない者は、わたしの弟子になることができません。』
と言っておられます。ユダヤでは、2番目以降に‘愛する’ことを、‘憎む’という表現をします。
‘神様を第一に愛しなさい’、自分の父、母、妻、子、兄弟、姉妹は、その次に愛するのですよ、
神様はそう言っています。
私達が神様を第一に愛する時、どんなことが起こるのでしょうか。

私達が、神様を第一に愛する時、私達の内側に神様の愛が注がれます。
それは、自分の中の‘愛する’という能力の限界を超えた、真実な愛です。
神様から注がれた真実な愛を受けた時、私達は、その愛で、自分の父、母、妻、子、兄弟、姉妹、そして自分をも、本当に愛することが出来るようになります。
その‘本物の愛’とは、どんな愛でしょうか。

ぜひ、教会に来て、神様の愛に触れてください。

『神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。             - 聖書 - 』

(写真:ニュージーランドバラ園、撮影者:父)
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by j-gospel-niji | 2010-02-10 20:10 | 日記