jgospel(日本語のゴスペル)中心を歌っているゴスペルグループです。


by j-gospel-niji

イメージ

a0142760_20534265.jpg香です。

左の写真は、道でよく見かける花です。
この花を見ると、いつも、

『人はみな草のようで、その栄えは、みな草の花のようだ。草はしおれ、花は散る。
しかし、主のことばは、とこしえに変わることがない。』

という聖書の言葉を思い出します。
なぜなら、この言葉にある、‘草の花’が、私の中のイメージでは、こんな花だからです。

誰でも、いろんなことに‘自分のイメージ’というのがないでしょうか。

私は、自分がクリスチャンになる前は、クリスチャンに対して、あんまり良いイメージがありませんでした。
偽善者のように思えたり、きれい事を言っているように思えたりして。

木曜日、NIJI の練習の時、johnさんが、

「私は、柔和で温厚です。」(だったかな?)
(少し間をおいて、) 「と信仰告白しておきます」

と言っておられました。(笑)なぜか、マイクで。

そういえば、私は、クリスチャンになる前、‘私は、こういう人間なのだから仕方ない’と思う性格でした。
人によっては、‘こういう人のようになりたい’とか‘こんなふうな人になりたい’とか、いつも理想があって、がんばっている人もいるかもしれませんが、私は、性格が悪く、‘こういう自分が好きで、自分は、これで良いんだ。自分のことを変えることは出来ないし、その中でプラス思考で良い方向で考えればいい。’と思っていました。
周りの人に合わせ、いろいろ我慢して、自分を押し殺して生きるか、多少迷惑かけても自分の思ったように生きるか、どちらかなら、私は、自分の思ったように生きよう。そう思っていました。
私は、‘自分の思ったように生きる’ということすら出来ず、うまくいった時でも、それで、自分が本当に幸せで満足していたかというと、全くそんなことなく。
人を傷つけるだけでなく、自分の内側もいらいらで一杯だったり。

神様であるイエスキリストを信じてから、大きく変わったことの一つに私のそういった内側の変化があります。
クリスチャンになってから、以前に比べて、自分の嫌な部分がわかるようになりました。そして、それは日を追うごとに、増えていきます。それに対し、(落ち込む時もあっても、必ず)‘こんな私を、愛されなくて当然の私を、神様が、そのまま愛してくださっている’という喜びに変わります。そうして、少しずつではありますが、神様によって、自分が変えられていっています。
それで誰が楽になり、幸せになったかというと、まずは、本人である私。そして、周りの人も。
(よく父に変わったと言われます。)
神様ご自身が、私達一人一人を目的をもって造り、造り主である神様と共に歩む時、その人が与えられているものが良い面だけで生かされ、さらに、良いものが与えられてくるように思います。

例えば、感情の起伏が激しい人は、その激しい情熱的な部分が人を感動させるようなことに用いられたり、細かい人は、その細かさで、いろいろ気がついて、人を喜ばせたり、おおらかな人は、その人を通して癒されたり・・等々。

確かに、私達は、訓練課程であるので、全てが一気に変えられるのではないです。また、選びもあります。神様を知っていても、神様と関係ない道を選ぶのか、神様と共に歩む道を歩むのか。

イエスキリストを信じ、神様と歩む人生は、本当に素晴らしいです。

『私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主(イエスキリスト)の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主(イエスキリスト)と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主(イエスキリスト)の働きによるのです。         - 聖書 - 』
『御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。  - 聖書 - 』
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by j-gospel-niji | 2010-02-20 20:44 | 日記